中国の北京まではるばるやって来たというのに、一切れの餃子さえも口にする暇もなく、気が付けば目の前がケムリだらけだなんて、ドリフじゃあるまいしこんなドタバタ仕事はまっぴらごめんだ!
なんて思ってみたりもしたかったが、わりと人ごとなので笑って楽しく傍観している間にリハも終了し、(ほんとか?)会場隣接のホテルへ移動。
会場は、「日中青年交流中心」という日本の出資で作られた施設で、とても立派な最新設備の大型コンサートホー ルがあり、そのすぐ隣に、まるで昨日までセメントが乾いていなかったというような真新しいホテルが隣接されているというものだ。
我々は、その施設のこけら落としのステージの依頼を中国から受け、招待されてはるばる北京までやってきたのであった。
内容はたしか、同じプロダクション所属のダンスチームが中心となって演じるミュージカルで、我々E-ZEE BANDは途中からス テージに登場し、2.3曲演奏、その後ダンサー達が再び入ってきてバンドの演奏と共にミュージカルは佳境を迎え、そ
してそのまま感動のラストへと向かう、というような構成だったと思う。
大がかりな仕事だった。今考えると当時の1990年という年は、かの天安門事件からまだ1年余しか経っておらず、そして中国はまだ依然として古い体制が残り、西側の音楽などは、やっと解禁された直後だった。もちろんまだインターネットなんか影も形もない時代だ。
そういうタイミングだったし、日中友好の役割を担って作られた施設での、中国から招待されてのステージだということにおいても、意義の大きい仕事だったと思う。
事務所的にはそらもう、会社を挙げての一大プロジェクトだったに違いない。
その証拠に、東京で同規模のコンサートホールを借り切ってゲネプロ(本番と同じようにする、最後のリハーサル)を行 うなど、かなりの気合いの入れようだった。
やっとホテルで休憩することが出来た。何十時間ぶりだろう、ベッドでゆっくり眠れるのは・・・
ベッドにもぐり込み、午後三時の動物園のラクダのような大きなあくびをひとつ。目を閉じると、これまで何十時間かの情景が走馬燈のように脳裏に浮かんでは消える・・・「あれはいったいつのことなんだろう、博多を出て、高速道
路を運転し、朝になって、ああ、飛行機、、あ、人民服の人が自転車に乗って、、、ケムリがけむりがっ、、、ZZZzzz」
しかし、ありがたいことに次の日も朝から仕事だ。
遠い海の底に沈む古い貨物船のような眠りからカシオの電子音で起こされる不快感とともに、北京二日目の朝は来た。
今日の朝からさらに三日間リハーサルをやって、その後の三日間が本番という、全行程1週間の日程が組まれており、我々はその間ずっとこのホテルに滞在することになっている。
貨物船から身体が抜けきらないままホテルのカフェで赤色102号トーストと脱脂粉乳ホットミルクを流し込む。同席したVo生熊朗の目の中にもまだ熱帯魚が泳いでいる。
ダンサー達と一緒に凍てつく強風を受けながら、隣のコンサートホールに移動してリハーサル開始。しかし途中でまたアクシデントが発生。
ホールのPAスピーカーの片側のウーファーが、ぶっとんだという。またも慌てる音響スタッフ、すぐに交換してもらえ るよう、会場側に要請した。ところがそれは出来ないという返事が中国側から返ってきた。
日本チーム・・・「はあ?!」である。
会場に入っているPAシステムは、ラムサ(松下のPAブランド)の物なのだが、会場にはウーファーの予備が無く、かといって日本から取り寄せていたん
じゃあ、とても間に合わない。しかし都合の良いことに、ちょうどラムサの工場が北京にあるとかなんとかで(詳しいところは違ってるかもし れません)、
「そこから直接持ってきたら交換出来るじゃないですか、頼みますよ。」
みたいな話だったらしい。
しかし、そこはさすが中国四千年の歴史らしく、
「そんなの、前例がないからダメです」
と言ってきた。
「っかーっ、融通効かんやっちゃなーっ」と日本サイド。
「だってスピーカーが壊れてるんだから、このままじゃ出来ないじ ゃん!」と訴える。
「いやいや、前例が無いんで(キッパリ)」と中国。
「前例もへったくれもあるかー!」
と内心キレまくりのスタッフと、四千年型対応一点張りの中国側との押し問答が続く。
そんな事が起こっていたとは全く知らないステージ上のおれ達、無事リハも終了。ホテルの大食堂で夕食だ。 つ、ついに、ちゃんとした中華料理がっ(泣)!私はわたしは、このときを待ってたのよ、長いながい間!
その広い中華式の食堂に入るとそこには、円卓(台がくるくる回る、あれね)の巨大版がいくつか置いてあり、その上にはすでに数種類の料理が並べられてある。
我々は「おー、本場の中華だー、ヤター!」とそれぞれに歓声を上げ、適当に好きなところへ座っては、意味もなく円盤をくるくる回したり してはしゃいでいた。
そして自然に宴は始まった。
まずはビールで乾杯だー!おれは飲めないのでコーラでね!・・・ん? 全然冷えてないんですけど、ビールもコーラも。ぜーんぶ。
なーんか、基本的によくない予感・・・
「???」な空気が食堂全体に漂い始めた。
スタッフの一人がホテルの従業員をつかまえて「冷えてないよ」と訴えてみても、従業員は四千年の表情を浮かべたまま、「は?、そんなこと言われても・・・」みたいな感じ。
らちがあかないのでスタッフが中国側関係者に話を聞きに行ったところ、
どうもこの国では、そもそも飲みのもを冷やしておく、という文化というか、概念と いうか、冷蔵庫というか、そういうのものがはじめから存在しないという説明を受けたという。
恐るべし中国。
「ままま、いっか、中国だし、こんな事もあるか。」
「ぬるくてもいいじゃないか、いいよな、いいよな」
と、我々は今まさしく急激なスピードで、「まま、いいよな」路線へと方針の変更を余儀なくされつつあった。 体力を激しく消耗するリハの後だから、みんな腹ぺこである。なので、もちろんみんなライスを注文した。
「まま、いいよな」路線にすっかり変更済みの人々は、
「ま、中国だからお米はそんなに期待できないよな、少しぐらいはパサパサだったりしても仕方ないよな。」
などと早くも心の防衛体制に入っていた。しかしその後運ばれてきたご飯はなぜか黄色く変色しており、ひんやり冷たく、パサパサしておまけにちょっぴり臭い・・・かなり古い古米の
ようである。
「・・・・・」
「・・・ままま、食えりゃな、なんでもいいよな、中国だからな、こんなもんだよ、お米はな。しょーがないよな。」
こうなったら、「しょうがない」路線にレベルアップするしかない。どうやらご飯を保温するという文化というか概念というか象印炊飯ジャーもないらしい。
陽気な興奮状態から始まった宴だったがもはや今では段階的に、しかし確実に人々をアンダートーンにさせているというこの状況。
「象印やタイガーはエライなー。」
「ここは中国なんだから、しょうがない、しょうがない(泣)」
とだんだん泣きまで入ってきた。
つづく。
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