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 新岳大典の「大典記」 2007.2.13. 更新)

新岳大典(ARATAKE DAITEN=DAITEN)
有限会社咲良舎専務取締役。
制作、劇作、印刷、出版、交渉、説得、激怒、お願い、共感、励まし、陳謝、感謝・・・その他何でもやります。

【新岳大典】のブログ《居酒屋探偵DAITENの生活》を是非ごらんください。(2007.10.15)。


2007年1月27日(土)

青年座「深川安楽亭」を見て、池袋の居酒屋「ふくろ」へ

 青年座の時代劇「深川安楽亭」を見るために、池袋・東京芸術劇場に向かう。「深川安楽亭」は山本周五郎の原作を小松幹生氏が脚本にした作品である。咲良舎の守輪咲良が演出した青年座第104回スタジオ公演「COLORSU〜シャンソンと愛のモルナールあえ」に出演されていた青年座のベテラン俳優名取幸政氏が同作品に出演されている為、SAKURA、咲良舎の俳優創間元哉と共に観劇に駆けつけた。

 「深川安楽亭」は深川の運河に囲まれた場所にある居酒屋だ。といっても、気質の人間がブラリと寄れる店ではない。そこに出入りするのは無頼の徒ばかりである。冒頭のシーン、そこに現れた場違いな男の「俺は知ってるぜ、この店がどんな店か」という言葉に店中の人間が緊張する。秀逸な導入部である。

 「安楽亭」の主人幾蔵役の山本龍二さんの漂わせる「殺気」を楽しみ、やがて見せる「孤独」に胸が痛む。特に幾蔵の最後の台詞「一番話したいのはこの俺だ」が身にしみた。
 山本龍二氏とは青年座第61回スタジオ公演「東海道四谷怪談」の時に、終演後、酒席でご一緒したことがある。1990年8月であるから、なんと17年前である。
 登場する無頼の者たちは、とにかく酒を呑む、酒を呑みながら話す、喧嘩をする。
江戸時代の話であるのに、抜け荷を扱っている所以か、幾蔵だけは赤ワインまで飲み出す。見ていて酒を呑みたくなった。
 終演後、名取さんとロビーでお会いして、酒席に来ていただく約束をする。

 守輪、創間と共に向かったのは、東京芸術劇場の近くにある、池袋最大級の大衆居酒屋「ふくろ」である。
 「ふくろ」は3階建てのビルになっている。店に入って、4人であることを伝えると、上に上がるように言われる。1階には40人ほどは座れようかという「大カウンター」がある。階段を上がると、2階にも1階とまったく同じ「大カウンター」を発見。これは凄い。さては、3階も・・・と思いながら上がると、そこにはテーブルが数卓、その奥に座敷席があり、その座敷席に3人で座る。

 早速ホッピーを注文すると、焼酎の入った緑色のガラス徳利の1合ビン、サワーグラス、ホッピーの瓶、マドラー付きの氷入れの4種が出てきた。焼酎が190円。ホッピー瓶190円、併せて380円である。これはじっくりホッピーを呑める最高の組み合わせではないか。壁の短冊に「煮こごり」の文字を発見、大衆居酒屋で煮こごりに出会うことはあまりない。刺身などと共に注文する。
 この店のつまみは、焼き物、刺身、酢の物、煮物、天ぷら等何でもある。そして、どれも安い、その上、毎月8日はつまみ類が全品半額になるらしい。もつ煮込み400円が200円になるというわけである。さぞかし混むに違いない。

 店に入ったのが午後9時半を回っていたので、10時過ぎには揚げ物はラストオーダーとなった。急いで唐揚げを頼む。しばらくして、名取幸政氏がいらっしゃった。劇団概要によれば青年座は「1954年5月、当時、俳優座の準劇団員であった若者が、俳優座から別れて作った劇団」である。名取氏は1963年(昭和38年)の入団とのこと、青年座創世記のメンバーと言える。普段は無口で物静かな名取氏がこの日はよくお話をしてくださった。ベテラン俳優としての経験に裏打ちされたお話に感銘をうけた。池袋の駅で名取氏と別れ、山の手線に乗ったのは午後11時過ぎであった。

 青年座公演「深川安楽亭」に登場する男たちは孤独だった。絶望的な「孤独」の末に、小さな救いがあり、この物語は終わるが、男たちの「孤独」はさらに続く。
 「深川安楽亭」の無頼の男たちは、他に「安楽な場所」がない故に、そこに集まっていた。「深川安楽亭」の「安楽」とは、アイロニーとしての「安楽」であった。

 現代の居酒屋に集まる男たちもまた「孤独」を抱えている、その孤独を癒す為に酒を呑む。ただ酒を呑むならば家でも呑める。見知らぬ同志が肩を並べ、時には黙ったまま、時には世間話に花が咲き、酒に酔い、味に満たされる。そして、全員が勘定を払い、店を出て帰ってゆく。そんな「立ち寄る場所」であるがゆえに癒されるのだ。人生に区切りをつける「句読点」、それが「居酒屋」の本質かもしれない。

 酒を呑み、食事をし、情報交換をして、静かに人生を語る。毎日のように行ける値段の安さ、誠実で飽きのこない味付け、押しつけがない接客、それらがきちんと揃った店は流行る。また行きたくなる。
 私にとっての「安楽亭」を探してまた歩く。死を迎えるその日の夜に「居酒屋」に立ち寄ることが出来たとしたら、それはそれで本望といえる。


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2007年1月21日(日)

両国 シアターΧ「かもめのジョナサン」を観て、「かもめ」を見上げる。

 日曜日の昼、両国のシアターΧに守輪と二人向かった。
 Χレパートリー劇場 第2回公演「かもめのジョナサン」を見るためである。Χ(カイ)レパートリー劇場付属演劇研究所の専任講師であり演出家である西村洋一氏が演出。キャストもまた同演劇研究所出身の俳優3名佐藤学二、中島幸雄、壱岐照美である。昨年11月の第1回公演に続いての再演である。

西村洋一氏プロフィール 1967年生まれ。東京工業大学工学部卒業。 96年よりロシア国立サンクトペテルブルグ演劇大学の演出学科(5年制)に学び2001年6月卒業。 2001年5月に卒業制作「ワーニャ伯父さん」を上演、11月「シアターXチェーホフ演劇祭」で再演。 2003年3月シアターXプロデュースのメーテルリンク作「まねかれざるもの」を演出、上演。

 シアターΧに向かう途中、すぐそばの交差点で信号が変わるのを待っていると、声をかえけてくれたのは咲良舎の音響担当寿島宅弥君と円夫人であった。新年の挨拶を交わし、一緒に劇場に向かった。
 劇場ロビーでシアターΧの劇場プロデューサー上田美佐子氏にお会いし、御招待のお礼を申し上げる。
 ホリゾンドに淡い照明が当てられ、その前に平台が積み上げられている。前舞台に石や流木がささやかに置かれている。それだけのシンプルな舞台である。
 主人公かもめのジョナサンは、群れの他のかもめと違っていた。彼は両親の忠告にも耳を貸さず、群れの掟にも逆らって、「飛ぶ」ということにのめりこんでゆく。その結果、彼は群れから追放される。
 それでも、彼は「飛ぶこと」にこだわりつづけ、修業をやめることはない。やがて、時間と空間を越え、彼は新しい世界で「指導者」に出会う。それから彼もまた指導者となり、やがて故郷に戻り、若いカモメたちに空を飛ぶことを教え、さらに若い弟子にすべてを託し去ってゆく。この物語に登場するのは、指導者と弟子たちである。
  「かもめのジョナサン」では、主人公の目的「飛ぶこと」を別の何かに置き換えてみることができる。そして、その特性こそがこの物語が多くの読者を得た最大の理由かもしれない。私もまた、この物語で目的とされる「飛ぶこと」を「演ずること」に置き換えてみた。すると、この物語全体が「演技論」に思え、そこに演出家の意図を感じることができた。劇場ロビーで演出家西村洋一氏にご挨拶した。しかし、氏は寡黙で、その意図を確認することはとても出来ない。

 劇場の外に出た。シアターΧの入っている両国シティコアの北側には京葉道路が通っている。その京葉道路を西に向かって歩くと、両国橋にぶつかる。橋の下を流れる川は隅田川だ。元々隅田川は下総国と武蔵国の国境であり、両国橋は下総国と武蔵国にまたがっており、それが両国橋の名称の由来となっている。ここから現在の道の名前も「靖国通り」に変わる。橋の上を渡り、今、見たばかりの「かもめのジョナサン」の話をしながら、両国橋を渡る。すると、川の上流から下流に向けて、1羽のカモメが橋を上を飛んでいった。本物のカモメは決して急降下の練習などはしない、ゆっくりと飛んでいる。偶然に驚き、二人で頬笑む。

 靖国通りになってから、二つめの角を右に曲がると、「柳橋」がかかっている。その「柳橋」の下を流れるのは、直後に隅田川に合流して、流れを終える神田川であった。「柳橋」の両岸には「船宿・小松屋」がある。橋を渡り、神田川を西に向けて歩くと、すぐに「江戸通り」に出る。そこは「人形の街」である。「吉徳」「久月」「秀月」など人形問屋の老舗が並んでいる。
 守輪と二人、「吉徳」さんに入った。たくさんの家族連れがひな祭りの準備の為、人形を熱心に眺めている。「人形たち」は美しく、かわいかった。目の保養である。
 浅草橋から秋葉原をぬけ、神田まで歩いた。膝が痛んだ。休日の神田の街は静かで目当ての店は当然のごとく定休日、仕方なく見知らぬ店で熱燗を少し飲んだ。二羽のカモメは家路につく。もちろん空を飛ぶことは出来ず、冬の夜空を見上げ、おとなしく電車に乗った。

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2007年1月12日(金)

中目黒から都立大学、2軒の名居酒屋、そして役者の街

 今日のDAITENは、酒場探偵としてのパートナーASIMO君を連れだって中目黒に登場。
 ASIMO君は都会の酒場探偵DAITENにとっては重要な存在。ちょうどシャーロック・ホームズにとってのワトソン君のような存在である。さて、今日のDAITENは、ASIMO君を連れだって中目黒に登場。
 東急東横線の中目黒駅の東側に「目黒銀座商店街」がある。その裏の住宅街に入ってゆくと、マンションの裏階段に提灯がポツンと下がっている。あそこかなあと二人で指さしていると、ちょうど中から出てきたばかりなのか、近くにいた常連の方らしき人がわざわざ戻ってきて、「この階段を上がって左ですよ、おいしいですよ」と教えてくださる。店に入る前から二人とも好印象。

 さて、階段を上がると黒い鉄の防火扉があり、中が見えない。「これは何も情報を持たない人間は入らないだろうなぁ、怖くて・・・」と言うとASIMO君も同意。
 しかし、扉を開いて二人とも驚いた。顔を見合わせ、ASIMO君が「いいですね・・・」と頬笑む。いつものやりとりである。右側に10人程度が座れるカウンター、左側が一段高くなっている座敷席。8人が座れる席が2つ、5人が座れる席が1つ。我々が座ったのは入ってすぐの5人席。カウンター席は8割位埋まっている。座敷席には6人ほどのグループが座っている。カウンターの中にはちょっと強面のマスター、女性、男性が1名ずつ。明るく清潔な印象の店内は、思いの外、静かである。やはり、チェーン居酒屋に集まっている、いわゆる「大人になっていない子供」がいないからである。

 さっそくホッピーを2つたのむ。ちゃんと「氷は入れますか?」と聞いてくれる。するとASIMO君が「ちゃんと、氷を入れるかどうか、聞いてくれますね」と反応。氷を入れない客のことを考えてくれている。ホッピーファンにとっては重要な要因である。最初に頼んだツマミは〈煮込み〉〈レバかつ〉である。「煮込みは豆腐いれますか?」と聞いてくれる。迷わず「入れてください」と答える。この煮込みが上品な薄味でうまい。「煮込みといっても色々だねえ、店によって全然違うものだなあ」と改めて感心。「レバかつ」がやってくる。「これが伝説のあの〈レバかつ〉かあ」と食べる、うまい、うますぎる。

 〈サワー〉を頼んだ。メニューに「サワー」とだけ書いてあるが、実際に出てくるのは、ソーダ1瓶、氷と焼酎の入ったジョッキ、レモン絞りに2つ割にしたレモンが1つ(微妙に皮を残して割ってあるので、レモン絞りの上から落ちないようになっている)乗っているもの、これが1セットである。レモンを搾ってジョッキに入れ、ソーダを加える。チェーン店で高い値段をとっている生レモンサワー、いやそれ以上の飲み物である。それでいてなんと390円。安い。この後に〈ホイス〉も飲んだ。下町系の飲み物〈ホイス〉が飲める店は城南地区ではほとんど無い。貴重な味である。

 お新香を頼むと「盛り合わせにしますか」と聞いてくれる。ASIMO君が「いろいろと種類があって、単品でも頼めるんですね」と推理。出てきた〈お新香盛り合わせ〉は大根、カブ、人参、キュウリ、どれもうまい。最後に「豚尾」をたのむ、初めて食べるものである。豚の尾がトロトロに煮込んである汁物である。うまい。もちろん、この店の主な商品であるモツ焼きも食べた。どれもうまい、塩味で頼むと、醤油ペースで酢の入った「つゆだれ」にカラシを投入したものがついてくる。この「つゆだれ」にモツ焼きをつけて食べると、これがまたさっぱりとしてうまい。これは第三のモツ焼きの味付である。

 店の名前は「源」。やはり噂通りであった。ここは「中目黒に数年前まであった伝説の名店「ばん」の流れをくむ店である。中目黒の隣駅、祐天寺に当時の「ばん」のマスターの弟さんが出店した新しい「ばん」でも、〈豚尾〉〈サワー〉〈ホイス〉などを楽しむことができる。DAITENも数回行っているが、この「ばん」もまた名店である。しかし、旧「ばん」で名物だった〈レバかつ〉は調理場が狭くなってしまい、揚げ物ができないという理由でなくなってしまった。その〈レバかつ〉を「源」で食べることが出来たのである。幸せを感じる。

 気がつけば1時間が過ぎて、いつの間にか店内はほぼ満席の状態。「これは口コミの力だね。いいものを出すとお客はちゃんとやってくるという実例だね」と話す。ASIMO君も大きく同意。長居は【本当のディープ系居酒屋ファン】としては恥なので、会計をお願いする。2人で5600円。思いの外安い。いい店をまた発見できた。入口で2人連れとすれ違う。これでこの人たちは満席でがっかりしないで済むなあ、人ごとながら安心する。

 今日はS・A・P「12週間集中レッスン」の金曜日の稽古が午後1時30分から4時30分まであり、その後も、夜からは昨年12月の青年座公演の本番の為に出来なかった分の補講としての「モノローグ・レッスン」があった。夜も守輪は仕事である。ASIMO君の提案で、守輪のレッスンが終わるのをどこかの店で待つことにする。今は携帯メールがある。便利な時代である。

 次にDAITENとASIMO君が向かったのは、中目黒駅から横浜方面に3つ乗った都立大学である。東急東横線沿線にはいい居酒屋が多い。中目黒には「藤八」「根室食堂」そして「源」。祐天寺には「ばん」。学芸大学には「浅野屋」「根室食堂学芸大店」。自由が丘には「金田」。川崎市に入って武蔵小杉の「文福」。枚挙にいとまがない。

 都立大学の改札は渋谷方面に向かってガード下に開いている。改札を出ると、目の前に東横線と直角に交わる通りがある。その通りを渡り、渋谷方面を見て左側の東横線の高架沿いの道を50メートルほど歩くと、左側に斜めの別れる道がある。その角の三角地に建っているのが今夜の2軒目の店である。 店名は「最上」。三角の一辺にある入口を入ると、目の前にV字型のカウンターがある。そのVの中が調理場になっている。常連らしき皆さん3名と、スーツを着た2人組の方々。調理場の中は、よくしゃべるママと、緩い口調のマスターの2人。
 さて、この店にはホッピーはない。しかし、名物飲み物がある。それは焼酎の緑茶割りである。この緑茶割りに使う緑茶は常連さんたちが石臼でひいて持ってきてくれるのだそうである。チェーン居酒屋にある甘いお茶割ではない、本当の濃いお茶の粉がグラスの底にたまるほどに入っている。「緑茶割りください」と言うと、「冷たいのですか、暖かいのですか」と聞かれる。私は暖かいお茶割り、ASIMO君は冷たい緑茶割を頼む。ここの店の名物はもうひとつある「魚のくんせい」である。本日の魚はサバとホッケ、私たちはサバをたのんだ。これがうまい、ただの焼き魚とは違うくんせいの香りと味。カウンター席の背後にくんせい用の石油缶が置いてあった。

 しばらくして、守輪からメールが入った。都立大学駅の周辺にいるというので、迎えにゆく。
 駅に向かうと守輪と一緒に、S・A・Pメンバーの2人、増永守志鎌多洋平が挨拶をしたいと待っていた。律儀である。
 3人を連れ、ASIMO君の待つ「最上」に戻り、合計5名がV字カウンターの先の部分を囲むように座る。ビールをもらい乾杯。増永守志のCM撮影の現場話などで盛り上がり、当然のごとく、芝居のあり方、演劇論となる。すると、緩い口調のマスターが近づいてきて、「お話に割り込んで申し訳ないのですが、皆さん、お芝居の関係の方々ですよね」と聞く。「そうですよ」と答えると、「実は自分の息子も劇団をやっているのです」と言って、壁に貼ってある芝居のチラシを指さした。
 実は、店に入ってすぐからこの芝居のチラシが気になっていたのである。その芝居とは劇団パラノイア・エイジ「平将門 傀儡徒夢(たいらのまさかど〜くぐつのあだゆめ)」である。シアターVアカサカで1月17日から22日まで上演される。その代表であり作・演出の佐藤伸之氏がマスターのご子息なのである。チラシにはちゃんと「最上」の広告が載っていた。親心である。
 本当の閉店時間が10時なのに、ずいぶんと長く居させてもらった。「最上」は落ち着く店である。予約で「すっぽん」料理も食べることができる。再度の来店を約束をして5人で外に出たのは11時過ぎであった。

 今回の2つの店がある中目黒と都立大学、その間の祐天寺、学芸大学、この4つの駅の近くには、目黒区の住区センターが点在している。稽古場として、東京で活動する芝居関係の人間なら一度はこれらの施設のお世話になったことがあるかもしれない。居酒屋でも芝居関係の客の会話をよく聞く。それが、今度は劇団代表のお父上がやっている居酒屋を発見したことになる。面白い。
 以前一緒に行った世田谷線の世田谷駅近くの居酒屋「高橋」へ行く約束をASIMO君とした。「高橋」の斜め前には劇団スーパーエキセントリックシアターの稽古場がある。「高橋」もまた役者達に愛されている居酒屋である。
 同じ空間に作り手と客が同時に存在する、その点で「小さな居酒屋」は「劇場」に似ている。どちらも私にとって最愛の場所である。

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2007年1月6日(土)

横浜を歩き、ブロードウェイを想う

 守輪と向かったのは横浜・関内ホール。バレエの発表会「クララの人形」を見るためである。客席で咲良舎の俳優創間元哉と待ち合わせ、ストラビンスキーのくるみ割り人形を翻案した作品を楽しんだ。関内ホール1階席が満席で、2階席に座る。小さな子供たちの可愛さに微笑み、プロのバレエダンサーの皆さんの高いジャンプに魅了された。やはり舞台はいい。

 劇場の外では、横浜の友人であり劇団横浜にゅうくりあのメンバーでもある柴田裕作氏が待っていてくれた。打ち合わせの為に劇場ロビーに守輪と創間を残し、もうひとりの友人、保土ヶ谷コミュニティオーケストラの名誉団長であり、薬局を数軒経営されている濱也耕誠こと北井康一氏と関内駅近くのサイゼリアで合流。北井康一氏がサイゼリアの株主優待券をお持ちのためにこの場所での夕食となった。
 守輪、創間も合流してメンバーが揃い、話は横浜の中田市長が先日のテレビで「横浜を日本のブロードウェイにしようと思う。今、稽古場スペースを多く持った新しい劇場を作る計画をたてている。」と語ったという話で盛り上がった。北井氏が中田市長の後援会に入っておられるので、今度直接話してみようということになった。

 野毛ホッピー仙人看板店を閉めるために横浜スカイビルに戻る北井氏と一端別れ、野毛の居酒屋叶屋に移動。この移動の途中、大岡川の都橋にある「都橋商店街」という弧を描いた形をしている2階建ての建物に入る。横浜ホッピーファンの聖地、バー「ホッピー仙人」を見せる為である。創間元哉のブログにあった看板写真をここに拝借する。残念ながら店はお休み。それから野毛小路に向かい、馬鹿鍋で有名な「浜幸」、焼き鳥の「末広」、立ち飲み「福田フライ」、餃子の「山陽」、など野毛の名店を案内しながら、野毛としてはめずらしく大きな居酒屋「叶屋」に入る。この叶屋は実は女優樹木希林さんの実家である。ここで北井氏が再び合流。
 酒宴はますます盛り上がった。S.A.P.の前身である桜塾の塾生だった加原詩絵(芸名)が今年横浜の市会議員に立候補するとの話を北井氏から聞いて一同驚く。なんだか咲良舎の周辺も色々と面白くなってきた。
 
 横浜には実は演劇に使える劇場が多い。横浜市芸術文化振興財団が管理する劇場だけでも「横浜にぎわい座」、「横浜赤レンガ倉庫1号館」、「関内ホール」、「旭区民文化センター・サンハート」、「磯子区民文化センター・杉田劇場」、「吉野町市民プラザ」、「岩間市民プラザ」がある。
 小劇場としては、咲良舎がマリヴォーの「試練」を上演したこともある「横浜にぎわい座」地下の小ホール「野毛シャーレ」、横浜駅西口に「S丁スポット」、本多劇場グループの一つ「相鉄本多劇場」。
 山下町には「県民ホール」、横浜人形の家の「あかいくつ劇場」、港の見える丘公園近くの「ゲーテ座」。舞踏演劇関係の公演が多い「泉区民文化センター・テアトルフォンテ」、「神奈川区民文化センター・かなっくホール」などの立派な市民劇場もある。大衆演劇の三吉演芸場も忘れてはいけない。

 もっと横浜で芝居を上演しなければいけないなあとつくづく思う。叶屋からJRの桜木町駅に向かう途中、私の頭の中には日本のブロードウェイと化した横浜の風景が広がっていた。東京の人同士が「横浜に行ってきます」「お芝居を見に行くのですか?」そんな会話を自然にするようになれば良いと思う。横浜がジャズや映画に続いて演劇の街にもなって欲しい。
 私の本籍は横浜市の保土ヶ谷区にある。保土ヶ谷に住んでいた頃に出会った良き先輩たち、北井氏や柴田氏に会うと、横浜に帰ろうかなあと本当に思う。楽しい横浜の一夜でありました。

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2006年8月4日(金曜)

OZAKI先生と世田谷線を歩く

 演出の守輪と五反田駅で待ち合わせ、出来たばかりの両国・シアター×「試練」の公演チラシを受け取り、 三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに向かった。 駅前のキャロットタワーの5階に制作部がある。 その受付に行き、置きチラシをお願いする。 別の階には、ワークショップの出来るスペースがあったり、贅沢な空間である。行政はすごい。世田谷区民の払った税金は確実に使われている。

 それから午後7時30分に「OZAKI先生」と世田谷線の世田谷駅で待ち合わせをした。
OZAKI先生は私の学生時代の恩師でもなければ、演技や踊りの師匠でもない。しかも、彼は教員資格をもっているわけでもない。出版関係の仕事をしているフリーのシステム屋さんである。アマチュアバンド時代のメンバーの一人だが、メンバーは今も彼を「OZAKI先生」と呼ぶ。若い頃から超然とした雰囲気があり、突然日本から消え、数ヶ月も東欧やアジア各国を放浪したりする。OZAKI先生はどこの国に行っても外国から来た旅行者だと思われないらしい、それくらい、その場所に適応してしまうのだ。

 OZAKI先生を待って、世田谷線の世田谷駅の三軒茶屋方面ホームに座っていた。世田谷線は2両編成で走っている。1両目の一番前と2両目の一番後ろに入口があり、140円という均一料金を料金箱に入れて乗る。車中は一方通行になっていて、乗客は出口に向かい、自分の降りたい駅につくと、その出口から外にでる。

 しばらくして、下高井戸発の電車がやってきた。
一番前の車両、入口ドアの中にOZAKI先生の姿が見えた。
「あっ、わかっていない」。そう思った。
 駅についても入口ドアは開かない、OZAKI先生は入口の前に立って、ドアが開くのを待っている。先生はやっと気づいた。急いで出口まで行き、開いた出口から出てきた。私は笑いが止まらない。
「入口前に立たないでください」とアナウンスされたという。いつもながらのおいしい登場である。

 世田谷駅脇の踏切を渡り、世田谷通り方面に1分ほど歩く。 そこに、今日の目的地である「酒の高橋」の赤い提灯がある。その赤い提灯には「勉強王」と書かれている。謎である。外に値段も出ていなければ、中の様子もまったく見えない。古い店の外観は、常連以外の人間を拒否している。

 今回が二度目の来店だが、居酒屋系ブログからの情報なしに、この店に入ることはなかったと思う。
店に入ると、右側に10人ほど座ることのできるカウンター、左側に小上がりがあり、テーブルが4つある。 ホッピーをいただき、刺身の3点盛りを頼む。 今日は3点盛りは、マグロ、ヒラメ、シメサバ、イカの4点盛りであった。厚く切られたヒラメが特にうまい。
OZAKI先生が「焼きおにぎり」をたのむと言う。 メニューにそんなものはない。でも「焼きおにぎり」 という言葉を聞いたと言う。
「焼きおにぎりください」と先生。
「ご飯はないんですけど・・・」との答え。
先生の幻聴だったようである。
何を食べてもうまい。家の近くにこの店があったら、毎日通ってしまいそうである。ニラ玉など何品か頂き、1時間ほどで外に出る。

 居酒屋探訪をするには、地元の皆さんの楽しい場所におじゃまさせていただく、という姿勢が大切である。
大きな顔をしたり、大声をはりあげたり、知ったかぶりをしない、解らないことは、質問をする。そして、長居をしない。気持ちよくいるための方法である。

 それから、松陰神社前駅まで世田谷通りを歩く、商店街に入り、しばらく散策。昔のマーケットの雰囲気を残した場所が懐かしかった。
松陰神社前駅から再び世田谷線に乗った。OZAKI先生が料金箱に200円を入れたその瞬間、「釣り銭の方は釣り銭と書かれた口にお入れください」という社内放送が入る。
 絶妙のタイミングであった。先生は釣り銭をあきらめ、離れた出口付近に、私と立っていた。私はそのタイミングの良さがおかしかった。やがて、先生は釣り銭のことを入口に立つ車掌に言おうと思ったのか、入口のところに歩いて行った。でも、何も言おうとしない。どうしたのかと思っていると、電車は目的地の「山下」駅についた。

 先生が急いで出口の方に戻ってきた。
 「どうして言わなかったの」と聞くと、
 「降りる時に一言、言ってやろうと思ったんですけど、ドアが開かなくて・・・」と答える。
 車掌の立っている入口は、乗る人がいなければ開かない。
 OZAKI先生はそのことを忘れていたのである。
 OZAKI先生は世田谷線とは、どうも相性が合わないらしい。

 山下駅は小田急線の豪徳寺駅の脇にある。 豪徳寺のすでにシャッターが閉まった夜の街を散歩、見知らぬ店で軽く呑んで10時すぎのお開きだった。

 豪徳寺駅。先生は、ちょっと小首をかしげ、片手を少し上げ、下りの小田急線ホームにあがっていった。
もう20年近いつきあいだが、OZAKI先生と会うとホッとする。心が和む。ダイニング&バー「楽屋」のオーナーMOSIMO君と3人で、夜の街を飲み歩いた昔に帰ることが出来る。

 OZAKI先生は私の「先生」ではない、大切な「友人」である。

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2006年7月20日(木曜)

マリヴォー「試練」稽古場にて


夜。
両国はシアターΧ(かい)にて10月9日から12日に上演予定のシアターコレクティブ2006・21世紀のマリヴォーシリーズ第2弾「試練」の稽古場に顔を出した。

この日は全キャストが揃っていた。 咲良舎の音響担当寿島宅弥君も来訪。 「試練」という作品は、櫻花舎時代の渋谷ジァンジァン公演、参宮橋の稽古場公演、横浜公演と過去3回取り組んでいる。

帰りに演出の守輪、音響の寿島宅弥君、創間元哉君、五森大輔氏と学芸大学前の「夢呆」で打ち合わせと称する飲み会。 (もちろん、演出と音響はきちんと打ち合わせしてました)
「夢呆」は前から行ってみたかったお店。 なかなかに美味でありました。本店は手打ちのそば店とのこと。

因みにマリヴォー「試練」のあらすじを紹介。
富裕な商人の息子リシュドールは新しく買い入れた土地を検分に来て急病になり、管理人の娘アンジェリックの手厚い看護で全快した。二人はまだ愛のひと言は口にせぬままお互いに強く惹かれあう。しかし、リシュドールは何よりもまず彼女の愛が財産目当てではない本物!という確信が得たかった。そこで、従僕フロンタンを金持ちの友人にしたて、結婚相手として推薦してみるのだが・・・。

いずれにしても、新しい「試練」楽しみであります。

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2006年7月18日(火曜)

ひがし企画 音楽打ち合わせ

年末の12月20日から24日に
青年座スタジオ公演として、青年座劇場で上演される
「シャンソンとモルナール笑劇集」の
音楽打ち合わせが我が咲良舎で行われた。

企画・出演のひがし由貴さん、そしてシンガーの奥土居美可さんとピアニストの高橋誠一さんが来訪、演出の守輪咲良と打ち合わせ。

打ち合わせ後はビール、焼酎、泡盛、ホッピー等を呑みながら 楽しい一時。インターネットを使って、いろんな事を調べながら、話題はどこまでも・・・。17インチと26インチのディスプレイ2台に同時表示すると、大人数で情報を共有できる。

奥土居美可さん、ひがし由貴さん、咲良舎、それぞれのサイトを見せ合ったりして、情報の確認も出来た。
それに、ええと、あれなんだっけなどと・・・と言い合っているより、調べちゃった方が早いし、盛り上がるのだ。

「オン・オフ会」とでもいうか。
新しいパーティの形体かもしれない。

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2006年7月17日(月曜)

咲良舎アクティングプレイスの稽古場にて


SAP(咲良舎アクティングプレイス)
月曜のシーンワーク稽古を見学。
午後4時からの演技経験者の為の「12週間集中レッスン」。
この日に来ていたメンバー十数名のうち何人かは咲良舎公演の出演者たち。久しぶりに会えた人もいる。みんながんばっている。公演の為の稽古だけではなく日々の訓練を続けている俳優たち。この姿勢が本来の姿である。私が言うまでもないが、役者にとって修行は一生のはずである。

午後7時からの「本コース」も最初の1時間ほど見学できた。20名近く参加者がいただろうか、若い彼らは実に面白い。まだ、役者としての面白さではないけれど。

この日の演出守輪咲良の言葉。
「わからないことは、かっこわるくない、わからないという状態は役者にとって、とてもいい。」

ちょうど見学に来ていたSAPの前身である桜塾の元メンバーにも会えた。「咲良舎」の周りには人がたくさん集まっている。うれしいことである。

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2006年7月16日(日曜)

ロミオとジュリエット そして深川


 両国には劇場がある。
「シアターX」と書いて「シアターかい」と読む。 何年も前から我らが咲良舎の上演劇場の一つとなっている。 これまで計4本の芝居を上演してきた。
 今日、そのシアター×で韓国の劇団の芝居を見た。 劇団木花(もっか)「ロミオとジュリエット」。 もちろん言葉は韓国語である。
たしかに、有名なシェイクスピア劇が元になっているし、 一部台詞は字幕がついている。しかし、それらに頼るまでも なく、言語の壁を乗り越えた感動がそこにはあった。 省略とテンポの良さ、1時間半は短かった。

 何よりも俳優たちが良い。ジュリエット役のキム・ムンジョンの健気さとかわいさ。ロミオ役のキム・ジョンチョルの男らしさと力強さ。 日本ではジャニーズやアイドルたちの主演する 「ロミオとジュリエット」しか見ることが出来なくなっている。

 俳優が実力ではなく、集客力でしか選ばれない日本。 また、韓国の芝居を見て、日本の現状を見せつけられてしまった気がする。 やがて、たくましい韓国の演劇の戦士たちが世界へと出てゆく。日本には彼らと戦える俳優たちがいるのか。

 芝居の後、共に芝居を見たSAPのメンバーたちと別れ、 演出の守輪と森下の方まで歩き、深川高橋で酒を呑んだ。 「鳥長」という居酒屋。生牡蠣がうまかった。 従業員同士の間に飛び交う、下町独特のやりとりが面白かった。調理場の親父さん、おそろしくよく通る声で注文の確認をする。その後にポツリと口にする傍白がまたいい。 どこにでも芝居の勉強の場はある。 役者の皆さん、チェーンの居酒屋でバイトをするより、深川の居酒屋で、テンポと滑舌を勉強しよう。

「あら焼って、何だよ、ああ、あら煮のこと、おーい、あら煮注文もらったの誰だい?、おいおい、読めねえよこれじゃあ、大学出てんだろう、ああ、今通ってて、まだ出てねえか、あはは」

楽しい芝居に楽しい酒場。本当に楽しい夜でありました。


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